東の方は雨が多かったらしいと風のうわさに聞いたけれど、西はと言えば、ともかく今年も暑くって。寒いのよりはまま我慢できると仰せだったお館様だが、それでも…下々の雑仕でも もちょっと着込むぞと思うほど、昼間っから下着同然の帷子(かたびら)姿でおわしたりしていては、あんまり説得力がないよなと思ったのは瀬那だけじゃあなかったはず。
「ここいらの程度でそうまでへこたれていたら、西国なんぞへは行かれぬぞ?」
「西国ですか?」
「ちゃいごく?」
人のことは言えない、結局はこちら様たちも似た恰好を選んだお子様二人へ、うむうむと頷くお師様で。薄木綿の腰までの筒袖の小袖と丈の短い筒袴、後の世には甚平と呼ばれるのだろう上下という、そろって下仕えのような格好になっている主従と。こちら様は幼い和子なので遠慮も何もない、つんつるてんの浴衣姿の坊や…という主人筋の家人三人。軒端の笹の陰が落ちるので少しは涼しい濡れ縁にて、伸び伸び寛ぎつつも何やらお話をしておいで。
「薩摩隼人や日向の高千穂。
雪も滅多には降らぬほど暖かい国だがの、夏の暑さはどもこもならぬ。
海の水さえ、浅瀬では温泉のごとくにぬるくなるほど、
そりゃあ暑い暑い夏だそうだからの。」
「海のお水が、ですか?」
セナには須磨に遠縁があるせいで、京住まいの、しかもこうまで幼い人間にはめずらしくも、海というものをよくよく知っていて。
「海って…夏でも冷たくて、あんまり長く浸かっていると風邪を引きますのに?」
さすがにまだ泳ぐ習慣はない時代だけれど、漁師や海女が仕事で潜るのは見たこともあるし、波打ち際で遊ぶくらいなら、子供らでも興じることはあり。暑い盛りは すねまで出してのはしゃいだこと、涼み方として覚えていたセナとしては。それが湯ほどもぬるくなるとは、あまりにも信じ難い事実だったらしくって。
「あんなに冷たかったお水が温泉みたくなるなんて…。」
「せ〜な?」
ちょっことながら自分よりも背の高いセナと、おやかま様とのお話を。中身が見えましぇんとばかり、小さな顎をのけ反らせて見上げるばかりの仔ギツネ坊やへ、
「くうちゃん、大きくなって西にお仕事が決まったら断りなね?」
「ぷや?」
いやに真摯なお顔になったセナが、ね?ね?と言いつのる。
「ここいらでこれだっていうのに、西はもっと暑いんだって。きっと煮られるほど暑いんだよ?」
「にぃえ〜、そりは やでしゅ〜。」
チビさん二人がキャーキャー・みゃーみゃーと、暑い怪談(?)に震え上がっているところへと、
「さぁさ、おやつになさいま…どしました?」
「ツタさんっ、西だと夏は溶けちゃうんだよっ?」
「ちょけゆのっ、熱ちゅいのっ。」
この時代では もしかして帝でないと食くせぬほど勿体なくも贅沢な、東国からのお土産という氷を浮かべた浅い平桶を抱えて来た賄いのおばさまへ、小さな和子二人がやんやんとまとわりつく始末。そして、彼らのそんな言いようを聞いて、
「安心しなって。
天竺ほどへも西へ行かねぇかぎりは、そこまで暑くはならねぇって。」
「…天竺だとそこまで暑くなるような言い方だの。」
「即身仏になる修行ってのがあろうよ。
あと、もっともっと西の埃及(エジプト)たらいう国じゃあ、
死んだらすぐさま“まみい”ってのに乾かす習慣があるって言うじゃねぇか。
死後の国でも同じ体を使えるようにって。」
蛭魔よりも先んじて、微妙なところで正しいんだかどうなんだかという知識を零したのは。さすがは人間よりも微妙に見識に国境がない世界のお人、邪妖の世界の住人である、蜥蜴一門の惣領様だったが。淡々とした物言いではあれ、
「みゃ〜〜〜。」
「いやぁ〜〜。」
「あ、すまんすまん。」
持って来た氷で以上にお子様がたを凍らせてどうするねと、自分よりも目線が下の蛭魔から ぎりりと睨み上げられて、すまぬすまぬと後ろ頭を掻いて見せていたりする辺り……破れ鍋に綴じ蓋ってのは、あんたらみたいな供連れ同士を指して言うんじゃなかろうか。(苦笑)
◇ ◇ ◇
怖いお話をして肝を冷やすことが夕涼みに直結すると思われたのは、果たしていつの時代からのことなやら。怪談が集大成されたのはもっと時代が下がってからの筈ではあるけれど、恐ろしいものがやって来るかもしれないという話は、昔からあるにはあったろうと思われる。ただ、日本は…ギリシャ神話よろしく、あらゆる自然現象を“八百よろずの神”として擬人化・精霊化して信奉する神の国だったし。死後の住まいを、生前の行い如何(いかん)で 地獄か極楽浄土か分けられる…なんて話は仏教の説法なので、人の幽霊や亡霊が祟るようなお話は、まだまだ考えられてはいなかったんじゃあなかろうか。
「単に筆者がオカルト嫌いだから知らねぇってだけの話なんじゃねぇの?」
うっさいわねっ。(苦笑) ひとしきり きゃあきゃあと騒いでますます汗をかいたお子様たちも、氷の泉の中にぷかり浮かばせられたイチジクや梨といった、それはそれは冷たい水菓子のおやつをいただき、ようやっと人心地がついたようで。
「おいしいねぇvv」
「うっ、おーちぃvv」
小さなお手々には余るほど大きなイチジクを抱え、ふわふかな頬に果肉の蜜をなすくりつけてる仔ギツネ坊や。あむあむと食んでは ご満悦ですという笑顔を上げたのへ、葉柱が苦笑をしもって、果汁のついたのを拭ってやれば。大きな手にすっぽり収まりそうな頬が、ますます愛らしく見えての稚(いとけな)く。大柄で武骨者だってのに似合わず、甲斐甲斐しくも世話を焼く惣領様の手際を眺めつつ、
「お前らの仲間内はこうまで暑いのも堪えんじゃねぇのか?」
子供らを挟んで向こう側に腰掛けていた蛭魔が、そんな言いようを投げて来た。自分への従属を優先することという“式神”への契約を結んじゃあいるが、血を取り込み合ったり真の名前で縛るようなそれじゃあないので、葉柱らは依然として、日之本の蜥蜴を束ねる惣領でもあり続けており。その関係で、そちらの集まりがあれば顔を出し、不都合はないか、困り事は起きてはないか、結構細かく気を配ってやってもいる模様。今日の午前から今までも、そういう関係で姿を消していた彼であり、
「まあ、あんまりな暑さは日陰でしのがにゃならなくはなるけどよ。」
俺らはそも南方の出だからな、冬眠しなきゃならねぇ寒いのよりは耐えられると。その“冬眠”をしない変わり種の惣領様が、何ともさらりと応じてくれて。
「…。」
小さきもの、弱いものは、数で集まって自然の脅威から命を守る。たとえ半分が滅しても、生き残ったものに未来を託す格好で、種を残そうと彼らなりの戦いをする。今でこそ生き物の中じゃあ一番偉そうな顔をして闊歩している人だとて、先人らが積み上げて来た知恵や工夫と、大勢で固まっていることを除けば、極端な話、素っ裸で広野にほうり出されたら、何日も保たないほどに弱々しい生き物だってのに。
―― そんな弱いものらの間でだけの格差に、時々目が眩む馬鹿がいて。
飛び抜けて強い個は弱いものを守る義務があるとし、だから弱い者らは平生からも頭を下げるのだという図式を作ったにも関わらず。都合のいいときだけ“弱肉強食”を持ち出し、好き勝手をするのが人間で。どうしようもなく身勝手な、でもそれが自然なのかもと思い知らされた頃もあった。幼いころに教わった様々な咒やまじないに磨きをかけて、そういった鼻持ちならない奴らを振り回していた頃であり。さすがに小手先であしらう相手も底を尽きたかなと見切りをつけて、選りにも選って 帝相手の大勝負を張ったおり、出会うこととなったのが、この蜥蜴の頭領だった訳で。
「…。」
彼もまた、人一倍強靭な個であり、それは血統のせいだから、だからこっちも義務だと継がされた頭領の職、律義にも守っている姿が、時折 歯痒い。体質が強靭なのはまま血統のせいもあるかもしれない。だが、荒々しい中にも馴染めば優しい気性があるのは、懐ろの尋深く、そうそう得難いほどの包容力があるというのは、彼の彼だからこその個性ではなかろうか。だってのに、何につけても仲間あっての自分と言いたげに、向こうへも同じくらいに…粉骨砕身、目をかけているのが、時々むかっと来てしょうがない蛭魔だったりし。式神としてぎゅうぎゅうに縛らなかったのは自分なくせして。余裕でそうしやった仕儀さえも、恨めしい我慢を強いる種でしかないと、思えてしまう今日このごろであるらしく。
「? どした?」
「…何でもねぇ。」
不意に黙りこくって…そのくせ、こちらを見やってばかりな蛭魔に気づき、ちょっぴり頼りなげに揺れかけていた金の瞳を、案じるように覗いた葉柱へ。我に返ると…そのまま照れまで沸いたのだろか、熱いお顔に少々焦る。その赤さを見せまいと、大急ぎでそっぽを向きかけた術師の白い横顔へ、そちらは慌てもしないままの手が伸びて来て。細い顎を難無く捕まえられてしまい、
「…っ。」
「おら。ついてんぞ。」
口許にかすかに一箇所、光の加減で乾きかかった蜜の点が見え。気になっていたらしいのを親指の腹であっさり拭って差し上げただけ。だって言うのに、
「な…。/////////」
ますますのこと、真っ赤っ赤になった蛭魔だったのは。子供らの見ている前での子供扱いが恥ずかしかったか それとも。ツタさんがまだ居たってのに、その指を何んてこともなくの無造作に、自分で舐めて見せた男臭いおまけが恥ずかしかったか。
「? どした?」
「〜〜〜。//////////」
あああ、口惜しいっ。こんなことへ腹立てるのはよほどヲトメな証拠じゃねぇか。でもでも、無神経とか野暮とかと一緒くたにされんのも癪だから、ここは怒って咬みつくのが正しいものだろか。正しい? 世の道理に俺が気ぃ遣ってどうすんだ、おい。日頃の破天荒から言ったらば、意に介さねぇのが大正解だ…けれども、う〜〜〜。////////
………とまあ、
ご本人の裡(うち)なる葛藤は、こういう流れを経ているのだが。傍から見る分には、単にお顔を赤くされて言葉に詰まってしまわれただけ。それって結局、ヲトメの憤慨と大差無い反応なんですけれどもねぇ。(笑)
「〜〜〜。/////////」
皐月の節句に下げてのそのまま、仕舞い忘れたのが軒に下がってた薬玉が、微かに吹いた涼風にゆらゆら揺れた、まだまだ蒸し暑い昼下がりのひとこまでありました。
おまけ 
…と、相変わらずのごちゃごちゃに和んでいた濡れ縁へ。
「…ふや?」
くし型に切っていただいた瑞々しい梨を頬張っていたくうちゃんが、不意に、その大きなお耳をひくひくっと動かして。
「どしたの?」
「によい、すゆ。」
「匂い?」
小さな両のお手々で梨を持ったまま、しんこ細工のような柔らかそうな小鼻を宙に立てるようにと仰向いて。すんすんと辺りの匂いを嗅いでた くうちゃんだったけれど。そんな彼の視線が降りた先。漆喰塗りの壁の上辺、載ってた瓦が破れて少しほど低くなった塀の向こうから、こちらを覗いているお顔が見えて。破れていると言ったって、この時代の人の背丈では、大人であってもなかなかお顔まで覗かすのは難しい高さだったのに。黒髪とそれから、彫の深い眼窩に据わった鋭角な印象の精悍な目許がこちらを見ており。
「お。」
「あ、あれって。」
割と友好的なお顔やお声になった術師師弟とは全くの真逆、
「あんの野郎っ!」
こちら様も、一目で誰かが知れたればこそ、身が動くほどの憤怒に襲われての立ち上がったのが葉柱であり。
「裏山で子守りをしてるだけならまだしも、昼日中から現れようとはっ!」
「あーおい、葉柱…。」
屋敷にまで来やがるとは何たる厚顔かと、妙な方向性での憤懣たぎらせた頭領殿の視野の中。ちらと覗いたお顔が、ささっと隠れたのがまた、煽ったように見えもしたものか、
「待て、こんの ながむし野郎っ!」
止める間もあらばこそ、結構な勢いでダッと駆けてった大きな背中を、為すすべなく ありゃりゃあと見送っておれば、
「どしたのあいつ。物凄い血相変えて走ってってまあ。」
この暑いのに元気だねぇと、わざとらしくも額に小手をかざして見せたは、
「あぎょん?」
「あれれぇ?」
延ばした黒髪を房に分け、縄のように綯ったという、ちょっぴり変わった頭をした屈強な青年。こちら様も作務衣姿なので、一見すると…雄々しいだけな普通の修行僧か何かという風体だが、実をいやあ微妙に葉柱さんとはご同類、邪妖の眷属、蛇神様でおわしまし。だがだが、えっと。ちょぉっと待って下さいましな。
「お前、さっき そっから覗いてなかったか?」
ほれと差し出されたは籐で編まれた大降りの魚籠(びく)で、中にはお土産か大きなウナギが数匹入っており。それを受け取ったツタさんと入れ替わるよに、愛らしいお声を放ったは仔ギツネ坊や。
「あぎょん、さっき あぎょんのによいしたの。」
「はあ?」
そりゃあまあ、一瞬にしての次空移動が出来よう彼だから、こんな至近距離ならば、葉柱をつり出しといてのあっと言う間に、こちらへ戻るという出し抜きの悪戯だって容易かろうが。
「ここの結界は俺んだって好き勝手には破れねってよ。」
「だよなぁ。」
結構好き勝手に訪のうている彼のようだが さにあらん。大邪妖こそ避けねばならない立場の陰陽師である蛭魔なのだから、それなりの防御結界は張ってある。しかも、芸のない密封型のそれじゃあなく、一つところだけ細く隙間が空いており。絡み合う咒の綾を解けた者だけは、その知力と礼儀を酌んでやり、さして痛い目を見ずとも入れるという“合(ごう)”の掛け方をしているがため、葉柱やこの蛇様辺りはそっちを通っての騒がさずにご入来するのが常であり。だっていうのに、
「あの野郎、俺の結界へケチつけやがったか。」
「お師匠様…。」
一足飛びなお言いようへ、そうじゃないでしょうがとセナくんが執り成したのは。葉柱さんが追ってったことを、結界を破って、侵入して来たと思い込んでのことという、そんな順番で把握してなきゃ出て来ない叱言だったからであり。言葉少ななまんま、そんなややこしいところまで既に把握されてるお師匠様だってのも、問題大有りなんじゃあなかろうか。
「そんなにも間近から覗き込めるなんてのは、よっぽど霊力が低い奴だってことでもあろうよ。」
俺へも侮辱にあたらんかと、そこまで此処の結界に詳しい阿含さんへ、
「でも、ボクらにも見えましたよ?」
「うっ、あぎょん見ぃたの。」
いち早くぴょこりと濡れ縁から飛び降りての、がっつり堅い腰回りへまとわりついてた仔ギツネ坊やもうんと頷く。
「あぎょんの によいした。」
「そこまで俺に似て化けられる奴がいようとは…。」
天狐のくうの鼻さえ誤魔化したとは、これは由々しきことではないかと…言うよりも、
「おんもしれぇじゃねぇか。今から燻り出して八つ裂きに…。」
「ああ、こらこら。」
あまり怖い話はやめてやれと、煽るように手を振って制するまでもなく、
「うみゃあ〜〜。」
「ああ、すまんすまん。」
闘気に怯えたくうちゃんが離れかかったのへ、ああいかんいかんと我に返った辺り、どこかの誰かさんとやっぱり大差無いような…。(笑) ひょこりと屈んで小さな和子を抱え上げ、よいよいよいとなと軽く揺さぶってのあやしていた蛇神様だったが、
「あ…。」
「どした。」
「それって、もしかして俺の抜け殻だ。」
――― はいぃい?
この界隈に、俺様へ化けるような度胸のあろう奴がいる筈はねぇからな。姿が似ていて匂いもあったっていうなら、先に脱いだ皮が解けぬままに、風で舞っての此処へ来たってだけだろよ。あっけらかんと言う彼だったが、
「来たってだけ…って。」
「お前なぁ。」
人騒がせには違いない。埋めるとかどうとかしないのかと呆れつつ、
「……葉柱さん、どこまで追ってったんでしょうねぇ。」
「さあな。」
抜け殻持って帰りやがったら、指差して大笑いしてやろうだなんて。先程までの神妙さはどこへやら、いかにも楽しげに くつくつ笑っておいでのお師様だったりするのである。
〜どさくさ・どっとはらい〜 08.8.28.
*他のジャンルのお話でここんとこ持ち出してる言いようですが、
実はおまけから先に思いつきました。
阿含さんて…脱皮するのかなぁと。(大笑)
ちなみに、脱皮の時期ってのは決まってはないらしく、
強いて言やあ、生まれてどのくらいとか先の脱皮からどのくらいとかいう、
個体によって決まってることみたいで、
そんでも冬眠中はしないから、夏から秋の間というところでしょうか。
そんな思いつきを書こうとしての後追いとなった“前半”が、
だってのに妙にムーディになったのこそ、こちらとしては予想外の運び。
こういうこともあるんだなぁ。(おいおい)
めーるふぉーむvv 

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